フィールドの血は、自然には残らない

― FDSBが教えてくれる、犬選びの本質 ―

ポインティングドッグの話をしていると、いずれ必ず「英系か、米系か」という話になります。
この問いは避けて通れませんし、実際、とても大切な論点です。

けれども、どれだけ系統の話を重ねても、最後にひとつ、もっと根本的な問いが残ります。

その犬は、本当に仕事をするのか。

結局、そこに戻ってくるのだと思います。

見た目が美しいとか、血統書が立派だとか、由緒があるとか。
そういう話は、たしかに犬を語るうえで無意味ではありません。
ですが、フィールドドッグの世界では、それだけではどうにもならない場面があるのです。

山に入れば、犬は飾りではいられません。
鳥を探し、気配を拾い、地形と風を読み、ハンドラーと噛み合いながら、自分の役目を果たさなければならない。
そこでは、名前よりも、肩書きよりも、実際に何ができるかが問われます。

そして、その問いに対して、長い時間をかけてひとつの答えを示してきたのが、**Field Dog Stud Book(FDSB)**という存在なのだと思います。

FDSBは、ただの血統登録簿ではありません。
1874年、アメリカのフィールドトライアル文化の始まりとともに記録されてきたその仕組みは、単に「犬の出自を残す」ためのものではなく、もっとはっきりした目的を持っていました。

それは、フィールドで働く犬の血を残すことです。

この一点において、FDSBはとても誠実です。
そして同時に、とても厳しい。

なぜなら、犬というものは、放っておいても良くならないからです。

むしろ逆でしょう。
見た目を優先して選べば、犬は見た目に寄っていきます。
穏やかさや飼いやすさを優先すれば、その方向に寄っていきます。
人間が何を望むかによって、犬は少しずつ、しかし確実に変わっていきます。

それは当然のことです。
犬は、人が選んだ方向へ進むからです。

フィールドドッグに必要なものは、案外たくさんあります。
鳥を探し出す嗅覚。
ポイントの強さ。
最後まで仕事を切らさない意志。
そして、人と噛み合って働く力。

こういうものは、自然には残りません。
名前だけ「鳥猟犬」であっても、その中身まで鳥猟犬であり続けるとは限らないのです。

だからこそ、FDSBのような仕組みが必要だったのでしょう。
フィールドで結果を出した犬を記録し、その系譜をつないでいく。
言葉にすると、ただそれだけです。
けれど、この「ただそれだけ」を、長い時間、ぶらさず続けるのは簡単なことではありません。

使えない犬は残らない。
仕事をした犬だけがつながる。
それはつまり、血統に対して、ずっとフィルターをかけ続けるということです。

もしこのフィルターがなかったら、どうなるか。
おそらく答えは難しくありません。

見た目の良さが優先されるでしょう。
扱いやすさが評価されるでしょう。
家庭での飼いやすさは、いつだって強い魅力です。
そしてその結果、作業能力は少しずつ後ろへ押しやられていくはずです。

最後に残るのは、「鳥猟犬」という名前だけかもしれません。
そう呼ばれてはいても、もう仕事のために作られてはいない犬です。

ここで、私たちは少し立ち止まる必要があるのだと思います。

犬を迎えるとき、多くの人は、まず犬種名を見ます。
次に見た目を見ます。
性格が穏やかそうか、飼いやすそうかを考えます。
それ自体は何も悪くありません。
家庭犬を選ぶなら、ごく自然なことです。

けれど、フィールドドッグを求めるなら、それだけでは足りません。

さらにやっかいなのは、「フィールド系」という言葉です。
この言葉はあまりにも便利で、だからこそ危うい。
検索すれば、グループ7はフィールド系だと書かれていたりします。
血統書にも、それらしい説明が載っていたりします。

けれど、その言葉だけで、その犬が本当に仕事をする保証にはなりません。

大切なのは、ラベルではなく、その中身です。

親犬は実際に使われているのか。
ブリーダー自身がフィールドに立っているのか。
系統として、どのような選抜が続いているのか。

結局、見るべきものはそこに尽きます。
そこが抜けた「フィールド系」は、きれいな言葉ではあっても、実体の薄い看板にすぎません。

FDSBの流れを見ていると、ひとつ、こちらが反省させられることがあります。

それは、フィールドの犬は、守らなければ消えるということです。

しかも、その「守る」という行為は、口で語ることではない。
フィールドで使うことです。
フィールドトライアルで評価されることです。
そして残すことです。

血統は、紙の上だけでは守れません。
現場で使われ、その結果が見られ、その中で必要なものだけが次へ渡っていく。
その繰り返しがあって初めて、血は生きたまま残っていきます。

私たちが気をつけなければならないのは、もしかするととても単純なことなのかもしれません。

見た目で選んでいないか。
言葉で選んでいないか。
雰囲気で選んでいないか。

もしそうなら、その時点ですでに、フィールドから少し離れた選び方になっている可能性があります。

ポインティングドッグは、ただ犬種名で語れるものではありません。
仕事のために作られてきた犬たちです。
だからこそ、その血は自然には残らない。
残そうとして残さなければ、薄れていくほうが自然なのです。

FDSBがやってきたことは、決して派手ではありません。
けれど、だからこそ重みがあります。

使う。
評価する。
残す。

たったそれだけのことを、徹底して続けてきた。
その積み重ねの先に、いま私たちが「フィールドドッグ」と呼んでいるものがあるのだと思います。

犬は、選び方で決まります。
そして、その選び方の奥には、どんな犬を残したいのかという、人の意思が必ずあります。

フィールドの血は、自然には残りません。
だからこそ、残そうとする側の意識が問われるのです。


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