海を渡った一本の笛―国井初男とジェラルド・トレイシー

国井初男さんのトラック。そのダッシュボードに、長い年月を経た金属製の笛が置かれていました。

表面には傷があり、使い込まれて剥がれたメッキの下から、地金の真鍮が見えています。取り付けられたリングには錆が浮き、決して飾り物のようには見えません。長い時間を犬とともに過ごしてきた道具の姿です。

気になって初男さんに尋ねると、その笛には、アメリカで鳥猟犬の訓練を学んだ時の記憶が残されていました。

【写真キャプション】国井初男さんが43歳で渡米した際、ジェラルド・トレイシーから最初に渡されたACME Thunderer 60.5。47年前の笛で、メッキが剥がれた部分から真鍮の地金が見えている

笛に刻まれた「THE ACME THUNDERER」

笛の側面には、次の文字が刻まれています。

THE ACME THUNDERER
MADE IN ENGLAND

英国のJ. Hudson & Co.が製造する「ACME Thunderer 60.5」です。メーカーの公式資料によれば、60.5は真鍮製の小型ピー・ホイッスルです。Thundererは1884年に開発された、長い歴史を持つ笛でもあります。

この笛が初男さんへ渡されたのは47年前です。長年使い込まれ、表面のメッキが剥がれた部分には、素材である真鍮の色が現れています。

この笛の価値は、古さや希少性だけにあるのではありません。誰から渡され、どのような時間をともにしてきたのか。そこに、この一本の本当の意味があります。

笛を贈るということ

笛は、鳥猟犬の訓練やフィールドでのハンドリングに欠かせない道具です。声が届きにくい距離でも、短い音や長い音、その組み合わせによって犬へ合図を送ることができます。

鳥猟犬に関わる者の間では、笛が贈り物として手渡されることも多いようです。毎日の訓練で使う実用品であると同時に、送り手の訓練や犬への考え方を受け継ぐ、象徴的な道具にもなるからです。

アメリカに着いた初男さんへ、ジェラルドが最初にこの笛を渡したことにも、そのような意味が込められていたのかもしれません。少なくとも初男さんにとって、この笛は現地での修行の始まりを示す一本となりました。

答えを求めて決意した渡米

初男さんの話を聞く限り、当時の日本では鳥猟犬の訓練ノウハウが十分に体系化されておらず、特にアメリカから来た大きく走る犬に適した訓練は、ほとんど手探りだったようです。

初男さん自身も、アメリカから来た犬があまりにも大きく走るため、その犬に合う訓練方法を模索していました。

初男さんより前にも、何人かの日本人がアメリカへ渡り、現地の犬の訓練を見てきていました。初男さんも、彼らが持ち帰った方法を学びました。しかし、自分が直面している犬に対して、納得できる答えを得ることはできませんでした。

悩んだ末、初男さんは自分自身がアメリカへ渡り、現地の訓練を直接学ぶことを決意します。

そこで出会ったのが、トレイシー家の「ヤード訓練」でした。鳩とチェックコードを使い、鳥に対する反応とポイントの基礎を一つずつ作っていく基礎訓練です。

43歳で向かったアメリカ

国井初男さんは現在90歳。今も鳥猟犬を扱う現役のプロトレーナーです。その半生を、日本の鳥猟犬と訓練の世界に捧げてきました。

初男さんがアメリカへ渡ったのは43歳の時でした。滞在期間は数か月です。初男さんは、当時の出来事を自らの訓練人生における重要な記憶として語ります。

向かった先は、ペンシルベニア州グレンヴィルを拠点とするトレイシー家でした。

当時、ジェラルド・トレイシーはTrachaven Kennelsを率い、全米のフィールドトライアルで知られるプロトレーナーでした。後に1983年、Field Trial Hall of Fameに選出されています。息子のジョージ・トレイシー、孫のマイク・トレイシーへと受け継がれた訓練の系譜は、現在のSummerhill Kennelにつながっています。

初男さんが渡米した頃、ジョージはすでに犬の訓練に携わっていました。一方、現在Summerhill Kennelを担うマイクは、まだ子供だったそうです。ただし、初男さんを直接指導し、一緒に犬を訓練したのはジェラルドでした。

到着した翌日にやって来た若いセター

初男さんが犬舎へ到着すると、「明日、若いセターが来る」と聞かされました。

そして、そのセターをジェラルドとともに一から訓練することになりました。完成した犬の扱い方を見学するのではありません。何も仕上がっていない若犬と向き合い、鳥への導入から競技犬としての完成までを、実際の仕事を通じて学ぶ修行でした。

渡米して最初にジェラルドから渡されたのが、ダッシュボードに残されていたACME Thunderer 60.5の笛です。

トレイシー家のヤード訓練――一日に数十頭

最初にジェラルドが見本を見せ、初男さんが助手を務めました。

まず初男さんが、一時的に動きを抑えた「眠らせた鳩」を藪の中へセットします。ジェラルドは犬にチェックコードをつけてハンドルし、藪に潜む鳩の匂いを取らせてポイントへ導きます。犬がポイントすると、初男さんが鳩の近くへ入り、足で鳩飛び立たせました。フィールドで「鳩を蹴り出す」と呼ばれる役割です。

一連の流れを見せた後は役割を交代します。今度はジェラルドが助手となり、初男さんがチェックコードを持って犬をハンドルしました。

ジェラルドがハンドラー、初男さんが助手。次は初男さんがハンドラー、ジェラルドが助手。二人は役割を交代しながら、阿吽の呼吸で訓練を進めていきました。無駄なく効率的に作業することで、一日に数十頭もの犬を訓練したといいます。

初男さんは、技術だけを説明してもらったのではありません。鳩を置く位置、犬をポイントへ導くチェックコードの扱い、鳥を飛ばすタイミング、そして助手とハンドラーが呼吸を合わせることまで、ジェラルドと実際に役割を交代しながら身につけました。

ジェラルド夫人が日本びいきだったこともあり、初男さんはジェラルド夫妻が暮らす母屋で生活することになったといいます。

毎晩の夕食時、ジェラルドは妻の前で、初男さんが上手に助手を務めるので訓練がよく進む今日は○頭訓練ができたんだと褒めてくれたそうです。初男さんは、その時のことを今も楽しそうに語ります。

ジェラルドの言葉からも、初男さんの犬に向き合う姿勢、人柄、そして仕事ぶりが、夫妻からの信頼につながっていたことが伝わります。

言葉や文化の違いがあるなかで、犬を介して同じ仕事をする。初男さんは客として見学するだけでなく、トレイシー家の日々の暮らしと訓練の中へ入っていきました。

若犬が完成犬になるまで

初男さんが訓練に携わったセターは、ダービー期のうちに「ダービーブロークン」と呼ばれる段階まで仕上がりました。

ダービーブロークンとは、鳥を見つけてポイントし、鳥が飛び立ち、発砲された後も不動の姿勢を保てる、高度に訓練された犬を指します。単に鳥を探してポイントするだけでなく、強い鳥欲を保ちながらハンドラーの指示に従える、競技犬として完成した状態です。

そのセターはシューティングドッグとして競技に出場し、初男さんもその犬と大会へ遠征しました。しかし、若犬期の終わり頃になると、走りにクォータリング――ハンドラーの前方を左右に切りながら探索する動き――が強くなったため、その後はガンドッグとして扱われるようになったといいます。

一頭の若犬がどのように育ち、どこで資質を見極められ、どの競技区分へ進んでいくのか。初男さんは、日々の訓練だけでなく、犬の評価と進路の決め方まで現地で経験しました。

ジェラルド、ジョージ、マイクへ続く訓練の系譜

公開資料では、ジェラルド・トレイシーは1983年、息子のジョージ・トレイシーは2011年にField Trial Hall of Fameへ選出されています。マイク・トレイシーも、祖父ジェラルド、父ジョージに続く三代目のプロハンドラーとして紹介されています。

マイクは、トレイシー家の名前を受け継いだだけの存在ではありません。Purina Top Shooting Dog Handler Awardを複数回受賞し、2023―2024年シーズンにも同賞を獲得しています。2025年にはMiller’s Extreme Heatを率いてGeorgia Open Shooting Dog Championship、2026年にはFaithfulを率いてSoutheastern Open Shooting Dog Championshipを制しました。現在も全米の主要競技で勝ち続ける、トップクラスのプロトレーナー/ハンドラーです。

現在マイクが語るトレイシー家の訓練には、犬の意欲やスタイルを壊さず、段階を飛ばさず、犬がハンドラーを好み、その声に耳を傾ける関係をつくるという考え方があります。

初男さんがアメリカで学んだ方法と、現在マイクが実践する方法が、細部までまったく同じだとは断定できません。長い年月の中で、訓練器具も競技環境も変化しています。

それでも初男さんが若犬の成長を通して学んだのは、トレイシー家の訓練の核となる考え方でした。その経験が、日本へ持ち帰られ、初男さん自身の長い訓練人生の中で磨かれてきたことは確かです。

帰国後、日本全国へ伝えた鳥猟犬訓練

初男さんは帰国後、トレイシー家のもとで学んだことを、自分だけの技術にはしませんでした。

全国各地で講演と訓練会を行い、アメリカで学んだ鳥猟犬訓練の基礎を教えました。

初男さんとトレイシー家とのつながりも、帰国によって終わったわけではありません。

その後、初男さんの息子である周平さんや、日本のプロトレーナーたちがトレイシー家へ渡り、今度は年単位で訓練を学ぶようになりました。

数か月の滞在中、一頭の若いセターをジェラルドとともに訓練し、寝食をともにして築いた関係は、後に続く日本人トレーナーたちの渡米へとつながっていきました。

鳥猟犬の訓練は、文章や映像だけで伝え切れるものではありません。犬と同じ場所に立ち、日々の変化を見ながら手を動かし、判断を重ねることで身につく技術です。後に渡米したトレーナーたちが年単位でトレイシー家に滞在したことからも、現場で学ぶことの重さが分かります。

ダッシュボードに残っていたもの

初男さんは、この笛をガラスケースへ入れて保管していたわけではありません。

90歳になった今も現役で犬を扱う、その仕事用トラックのダッシュボードに置いていました。日常の道具の中に、47年前のアメリカでの記憶が、何気なく残されていたのです。

私がその笛を見つけて尋ねなければ、この話を詳しく聞く機会はなかったかもしれません。

一本の古い笛から、43歳で海を渡った一人の日本人トレーナーと、アメリカを代表する鳥猟犬トレーナーの暮らし、そして一頭のセターを完成させた時間がつながりました。

この笛は、ジェラルド・トレイシーから国井初男さんへ渡された、単なる合図の道具ではありません。

アメリカで学んだ鳥猟犬訓練が日本へ渡ったことを伝える、小さな証人です。


参考資料

※渡米前の日本における訓練事情、国井初男さんの渡米、滞在中の生活、若いセターの訓練、笛の来歴、帰国後の講演・訓練会および日本人トレーナーの渡米修行については、本人から聞いた話をもとに記載しています。


Training Dayをもっと見る

購読すると最新の投稿がメールで送信されます。